KJコラム1「建築の愉楽」
登山家を見よ。莫大な費用と長い準備期間、低酸素と重いリュックで踏みしめる苦しい一歩一歩、そして文字通り「命を懸ける」というこれ以上ないほどのリスク----なんで彼はそこまでして山に登るのか?どうしてそんなに大きな代償を、喜んで払うのか? 登山家を駆り立てる本当のモチベーション----それは成功の一瞬への期待感である。成功を夢見ればこそ、気持ちは心の底からワクワクしてきて、血湧き肉躍ってしまう。この感覚がずっと心の底にあって、全ての艱難辛苦をもろともしなくなり、苦行は歓びにさえかわるのだ。成功の一瞬に向けた長い長いワクワクしたプロセスこそが、人生の充実感であり、生きている手応え・実感なのである。「ワクワク」とはいかにも稚拙な言葉だが、全身全霊をゆさぶるあの感覚を表現するのに、これ以上の言葉は見つからない。 賢明な諸兄には、もうお分かりだろう。そう、竣工までの、あの長くて苦しい道のりのことである。仕事を取るにもライバルは多く、上手く受注できても、施主の意向は建築家とぴったりとは合致しない。法規は厳しく複雑で、見積は予算を遙かに上回り、近隣は勝手なことばかり言う。構造も設備もなかなか納まらない。首尾よく着工できても、職人は面倒な納まりを嫌がり、なんだかんだと工期は延び、一寸気を緩めると追加工事費が積み重なる----よくまあこんな茨の道を毎回毎回歩んでいるものよと、ふと想う。 森鴎外は「青年」の中でこう書いている。「一体日本人は生きると言うことを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一生懸命に此学校時代を駆け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を成し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先きには生活はないのである。現在は過去と未来の間に劃した一線である。此線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。そこで己は何をしている。」 プロセスの一瞬一瞬こそが、人生そのものなのである。それをワクワクの連続にすることができれば、最高の人生になるだろう。「苦しい」のにワクワクして歓びになるとは何とも逆説的だが、それは自己を客体視し、意識して人生を楽しむことで強化される。《難局に立ち向かう自分の姿》を外から見て《解決したときの至福感》を想像すれば、自ら鼓舞されるのである。 それはどんな職業にも言えることだ。しかし建築ほど関わる世界が多岐にわたり、複雑に絡まっている世界はない。工学や美学にとどまらず、社会や都市・材料・工法・法規・物価との関わりも必須だし、クライアントや役所・ゼネコン・職人・近隣との交渉も不可欠で、生き方に深く関わるから哲学も重要だ。しかも、それらを基本的には一人の頭の中で形にまとめねばならない。 ついでに言えば建築とは、基本的にはゼロからプラスを目指す晴れがましい行為である。医者や弁護士といった 病気や争いというマイナスの状況をゼロに持ってくるのが精一杯という職業に比べれば、何と健全で明るい世界であることか。しかしそれだけにクライアントからすがられることは少なく、勢い報酬額も見劣りしがちだ。とはいえ金銭的な報酬が全てではない。不自由なく暮らしていければ、あとは毎日ワクワクしながら過ごせるほうがずっと贅沢な生き方と言えるだろう。いくら儲かってもストレスで早死にするより、意識してワクワクし、自己免疫力を高めて健康な方が良いに決まっている。だから建築家は童顔で血色もよく、長生きが多いのである。 (榎本弘之 建築専門誌『KJ』2011年4月号所収)
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■田町日工ビル(東京 2010竣工) |
設計の話が持ち込まれてから完成予想図を作成し、黙々と茨の道を突き進む----竣工という大円団を夢見てワクワクするプロセスこそが、人生なのだ。 |
▼ワクワクしながら描いた完成予想図 |
▼ 実際に完成した姿 |