限りなく美しい和音を追求した古典調律法は、近世以降、多少の美しさは犠牲にしてまで、知的で自由で多様な展開の可能となる平均律へと移行していった。絵画の世界でも、感性に訴えかける美しい色彩と光の古典的構成は、20世紀には知的興奮を喚起するための装置として、抽象化への道を開拓してゆく。
それらと併行するかのように、建築も20世紀には、知的操作の対象としての意味合いを強めてきた。過去の様式や構造の呪縛から解き放たれ、独自の世界観に基づいた自由な知的遊戯として、建築界には実に多様なイズムが氾濫して歴史を動かしてゆく。コルビュジェの五原則は、その代表格であろう。
しかしこうした表面上の動きとは裏腹に、根本ではやはり叙情性が最も強い影響力を持ち続けているのである。コルビュジェが絶大な人気を保っているのも、五原則があるからというだけでは決してない。それ以上に、各地を旅して育んだ彼の感性による叙情的魅力----訪れる者の感情をゆさぶり感動にまで至らしめる空間の力----が、我々を虜にするのである。
私は、この叙情性を分析的に捉えたいと思っている。実体験としての、生活実感としての《感動》を如何にしたら生み出せるか、茫漠とした《感性》に漫然と頼るだけでなく、意識的に考えたい。素晴らしい空間・魅力的な景観・偉大な文化的成果物だけでなく、日常生活の細々したことに中にさえ感動の源はある。それらを最大限に活性化させ、最良の形で味わうための「しつらえ」として、建築はどんな場を用意出来るだろうか。
《感動》とは最高の感情である。大学最初の建築講義で、内田祥哉教授に「自分の目指す建築とは何かを書け。それはきっと諸君の一生を左右するものになるだろう」と言われた。私は「人がいきいきする建築、ただし同じいきいきでも、活力の漲る時と癒しを要している時では全く異なる質となるだろう」と書いた。今でもそれが全く変わっていないのは、進歩がないのか初志貫徹なのか分からないが、ともかくも「人がいきいきする建築」を目指して、30年間建築を設計してきた。設計の主題は、勿論作品毎に異なっている。しかし「いきいき」の最高の形が《感動》であると信じる中から、いくつかの方向性が共通して出てきているように思う。それらを以下に「広く明るく伸びやかに」、「ストーリーとしての建築」、そして「タブララサあるいは遊び心」という形でまとめてみたい。 |